創作  ― 柴譜 (しばふ) ―

[ジャンル] = 創作童話(物語)

 

    柴譜 (しばふ)

 

                      妙致希林(ももない)

 

 日光香厳法師は東大寺別当で、開山でもあり、「金鐘行者」といわれて名高い、良弁大僧正のお弟子さまです

 その中でも特に優秀で、「秀逸」といわれて、山内の新薬師寺堂を任されておりました

 日光法師とのいわれも、つね日頃より、薬師如来を篤く礼拝されておりましたから、そのときのお姿が、まるで如来のそば近くにある、脇侍の日光菩薩のごとく侍られている様に見えて、いつのまにかそう呼ばれるようになったそうです

 普段から探究心は旺盛で、学問にも勤勉でありながらも、控えめでありましたから、その至誠の姿勢は誉れ高く謳われておりました

 しかしながら日光法師は頭が良すぎたせいか、逆に仏の教えの道が、どうしても解からないところでもありました

 奈良にある方々の名刹をめぐり、そこにたんと積まれている、唐や天竺からもたらされた数々の尊い書物や仏典を訪ね歩いて、数々の経典などに目を通したのですが、腑に落ち、納得のいく答えを見つけることができませんでした

 そこで当代では名高い、鑑真和上のもとにも通われて、教えを請いましたが、やはり肝心の仏の道の教えを、悟れないままでありました

 そのうちに鑑真和上も亡くなり、師の良弁も、自らがふるさとに開山された、相州にある阿夫利山として信仰される大山へと旅立ったため、鑑真和上のお弟子さまで、大唐から鑑真和上に従って、この日本においでになった、法進爲山和尚のもとに参じたのです

 

 日光はさっそく、法進に対面しますや、長年の苦悩を打ち明けるとともに、率直に仏の道とはなにかを尋ねられました

 法進は、

「良弁大僧正のもとで、日光は一を問われて十を答えられた。それだけ、頭がよく、見識があり、弁説もたつというものだ」

と、断ったうえで、

「だが、生死のことはゆるがせにはできない。日光。あなたがこの世に生まれない前の、本来の姿はどうであったのか」

と、質問をしたのです

 この質問に、日光は、どうしても答えることができませんでした

 寺や神社や大学にある、ふだんから見ている文献を、片っ端からめくったところで、答えは見つかりません

「絵に描いた餅と同じく、結局、手に取ることすらかなわず、飢えも満たせず、手に入れられないものなのか」

と、日光は、自らのしてきたことへの無力さに、愕然とし、打ちのめされてしまいました。

 ついに行き詰まりを感じた日光は、ふたたび法進のもとを訪れて、

「どうか、その秘密を解き明かしてください」

と、懇願しました

 ですが法進は、

「今、私が解き明かせば、日光はいつか私のことを、悪しざまにけなし恨むことになる。なぜなら私が言ったとしても、私の答えはあくまで私の答えであり、決して日光の答えにはならないからだ」

と言って、日光の問いかけを解き明かそうとはしません

 さすがの日光も、答えに窮し、そこで、うつむいて考えこんでしまいました

 ですがその様子を法進はみとめますと、

「道を見ようとするなら、その場ですぐに見るのだ。考えこんだら、途端に間違えるぞ」

と、日光をきつく叱ったのです

 日光は、寺にこもり書籍の中に暮らす机上の学問の世界に限界を感じました

 それは、法進自身が鑑真に従って、長年の苦難を乗り越えて、この日本の地へと渡ってきておられたこと

 そこに、なにものにもおよばぬ威厳と、誰をも納得させるであろう説得力が見て取れたからでした

 そして日光は、ただ寺にこもり学問にふける日々を改めることにしました

 この問いかけに答えられないのは、自らの不徳のいたすところであり、不甲斐ない

 なおもこれまでと同じ生活を送り続けるままでは、決して真理に行き当たらないのは明白であろうと思えてならなかったのです

「このままでは、真理を求めていないのと同じことではないのか」

 ついに日光は、このように考えるようになりました

「真理を求めない修行者に、なんの意味があろうか」

と、いうのも、このごろは、まるで僧という立場を利用して、偉そうにふんぞり返ったり、あちこちで物乞いをして歩く、戒も受けず認められていないニセ坊主も横行していて、彼らと同等、いやそれらにすら劣るような存在に、日光自身が思えてきたのです

 そこで日光は一念発起し遊行修行の旅に出ることにしたのです

 まずはその上代のおり、東国を平定したヤマトタケルノミコトの踏跡を追いつつ、相武国にある、師の良弁が開基した阿夫利山大山寺を目指すべく、奈良の都を発って、長い修行へと旅立ちました

 

 滝に打たれ山に伏し、海や天や星に祈る修行と、長い雲遊の旅を経たある日、東山道を進んだ日光は、ヤマトタケルノミコトが歩んだという武州秩父に入るべく、信州の筑摩の川をさかのぼりました

 そして、その最初の一滴のしずくが落ちるところを越えて、武州をつらぬいて流れていく荒川の、その上流の深い谷へと足を踏み入れたのです

 山霧に濡れた崖に取り付き、蔦や木の根を足掛かりに歩いていくうちに、やがて音だけを聞いていた水の流れが、白く糸を引いて目に映りはじめました

 そうして近づくことしばし

 山峡にかかる道なき道は、やがてわずかに開けて、日光をあきらかな谷筋へと導いて行きました

 木々や岩に見え隠れする谷筋を目当てに、なおも進み続けますと、ふと日光は、遠くの河原になにか動く影を見つけたのです

 近づいてはっきりわかったのは、それは親子連れと思われるオオカミでありました

 夜行性のオオカミは夜に活動しますので、こんな昼間に見かけるということは、珍しいものです

 群れからおいて行かれたのでしょうか。たぶん母オオカミと思われるものと子のオオカミと思われるものが二つ

 母を先頭にして、か細い河原を伝って、下って歩いていくのです

 しぜんと日光もその後を追う形となって、親子のオオカミを目にしつつ、谷筋を進むこととなりました

 そうして進むにつれて、オオカミ親子と日光との距離は近くなっていきました

 これほどの距離になれば、オオカミとて日光の気配を感じ取っているはずです

 ですが、いっこうに後ろを振り返る気配がありません

 群れから離れたのが気がかりなのか、よほど急いでいる様子と見えて、母オオカミは川を必死に下って行くようです

 それを健気にも、二匹の子のオオカミは、たどたどしい歩みながら、置いて行かれないようにとついていきます

 ときおり、思い出したように母オオカミは、子のオオカミのほうを振り向いてきますが、付かず離れずに、なんとか一生懸命ついてくるのを認めますと、休みを取ろうともせずに、また先に進んでいきました

 オオカミのその後を追うようにして、日光も一つ上くらいの、飛び降りればすぐにでも岩ばかりの川原に降りられるような、段の上を進んでいきました

 やがてオオカミの親子の前に、 さほどの広さの、徒渉をしなくては前に進めぬ場が現れました

 その下には険しい水の流れが、ごうごうと音を立てて、走り下っていきます

 たぶんオオカミならば一飛びにして、対岸に渡れるかもしれないでしょう

 ですが日光にとっては、飛びわたることなどついぞむりに見えました

 そこでべつに、背にした斜面を超えようとしたのです

 ですが、どうにもオオカミの親子が気になってなりません

 そこで川原に目を転じますと、ごうごう流れる谷川の沢水を、気に取られる様子もなく、やはり、母オオカミは迷うことなく、たんと足場の岩場を蹴やると、すぐに対岸にへと取りついて渡ってしまいました

 子のオオカミたちも、母オオカミの後に続いて岩場を蹴りました

 しかし子供たちはうまくいかなかったのです

 しくじったのか、やはり母オオカミよりも力がなかったためか、対岸の岩場に辿り着くことができませんでした

 手前の岩に引っかかって飛びついたかと思いきや、しっかりと対岸をつかむことができず、水に濡れたところであったのでしょうか、つるんとそのまま真っ逆さまに、急流に落ちてしまいました

 母オオカミはなんとか飛び渡ることができたものの、子のオオカミたちは、母をまねて向こう側を目指して飛んだものの、力およばずに、次々に谷川へと落ちてしまったのです

 

 子オオカミたちはか細くも、なにやらに悲鳴のような、物悲しげな声を上げて、母オオカミに助けを求めました

 その声に振り返った母オオカミが目にしたものは、急流に流されていく、我が子らの姿であったのです

 母オオカミは驚いたように、流されていく子の後を追いかけました

 やがて岩場の道が尽きてしまい、これ以上進むことができなくなりました

 すると、母オオカミもまた、子供たちを救うべく、自らも身を躍らせて、ごうごうと音を立てる急流の中に飛び込んだのです

 急流は親子を近づけまいと阻む奔流となり、オオカミたちをもみくちゃにしてしまいました

 そのありさまを目の当たりにした日光もまた、その後を追いました

 まだ幼い子オオカミは、母オオカミと離れ離れになったら、生きて行けません

 母オオカミはなんとか子供を捕まえて、泳いで渡ろうとする様子を見せました

 しかし、奥秩父の荒川は、信州筑摩のそれとはうってかわって、急峻な山峡を駆け抜けていきます

 七千尺を超える高山より、滴り落ちる水は冷たく、しかもここいらは、春先の雪解けの時期とも重なって、あたりに雪やつららも残り、夜にはいまだ極寒になる場所でありました

 ですから今の季節というのは、人間でさえ、ほんの少しの間でも、この沢の冷たい水の中に忍び込むことは、耐えられるものではありません

 長い時間この沢水に、身体がさらされ続けようものなら、たちまち体温を奪われ、ときには心の臓も止まって、命さえ奪われかねません

 しかもそれが急な谷を駆け下るのです

 足をすくわれ、流されようものなら、岩壁や巨岩に叩きつけられ、あるいは高い滝から落とされて、粉々になることでしょう

 そしてそれは人にとってだけではなく、オオカミにとっても同様であったのです

 母オオカミは、雪解けをたたえて増水した谷川を甘く見ていたのでしょうか、子のオオカミたちにも大丈夫と思っていたのでしょうか

 いずれにせよ渡ろうとした谷川の幅が、見かけより、子のオオカミが飛び越えるには、あまりに大きかったのです

 しかも谷川に流れる沢水は、母オオカミにとっても冷たいものでした

 子のオオカミも、なんとか母オオカミに近づこうとしましたが、なかなかうまくいきません

 しばらくすると子オオカミは、母オオカミに追いすがろうとすることが、できなくなってしまいました

 それでも、なかば溺れつつも、子のオオカミは、なんとか力を振り絞って泳いでおりました

 母オオカミはそれ以上に、子との距離をこれ以上開かせるまいと必死でありました

 しかし、お互いの距離は離れるばかりなのです

 やがて支流をあわせて谷川の水量が増すと、お互いの力ではかなわぬくらいになって、命に関わるほどになったのです

 なによりも水の勢いがこれほどになってしまうと、子のオオカミにとっても、また母オオカミにとっても、この大きな奔流を乗り切って渡ることなど、とうてい無理でした

 母オオカミは子オオカミを救うことができなくなりました

 そればかりか、自らの体力も限界に来ていたのです

 だからたとえ、子オオカミにたどり着くことができたとしても、子供を連れたまま、自力で向こう岸に着くこともできないくらいに、疲れ果ててしまったのです

 沢水はなおも冷たく、谷川の流れはとても速く、子オオカミたちを、いよいよ、もみくちゃにしながら押し流していきます

 とうとう母オオカミは、自分だけで泳いでいくのが、精一杯となってしまいました。

 母オオカミは力を振り絞ったのちに、川岸に達して、なんとか陸に上ることができたのです

 ですが母親と離れると、子オオカミたちは絶望したのか、ここぞとばかりの力を振り絞って泣き叫びました

 しかし、岸に上がった母親との距離は広がるばかりで、谷川の強い流れと極寒の水にあらがうことができませんでした

 顔を水上に出すだけで精一杯、もうこれ以上は耐えられません

 二匹の子オオカミはともに抱き合うようなかたちとなり、一緒に流されてゆきます

 奔流にあらがって戦うものの、時間が経つにつれて、子オオカミの動きは鈍くなっていきました

 そのときです。母オオカミは力のかぎりを振り絞るように、

「うぉぉぉーーん」

と、山々に響かんばかりの遠吠えを上げたのです

 

 ですが、その遠吠えは日光に響きました

 日光は、だっと川に走り込みますと、ざんぶとばかり激流の中にその身を躍らせたのです

 そして激流をものともせずに、二匹の子のオオカミのもとへと、濁流に分け入っていったのでありました

 はじめ、子のオオカミたちは、突然に現れた日光に驚いたようでしたが、すぐにその意図に気が付いたのか、反応して、今度は日光のもとへと向かって、必死になって泳ぎはじめました

 日光は、長い雲遊修行の間で鍛えられた身体で、立ちふさがる谷川の沢水に、分け入って果敢に進みますと、まず一匹の子のオオカミを捕らえました

 でも、もうこの子オオカミには日光にすがる力は残って居らず、日光が手や足を掴んでも、子のオオカミは、日光の手を捕らえようとはしなかったのです

 しかし、日光は猛進します、

 東大寺南大門の仁王さまを心に思い浮かべ、息を整えて、

「えい」

とばかりに、力に任せて、しゃにむに子のオオカミを、奔流からずばっと引き抜き取りますと、

「おうっ」

とばかりに、一気呵成に子オオカミをその背に負ったのです

 そして、もう一匹の子オオカミの方を見ました

 すると、なんと滝の落ち口にかかっているではありませんか

 すぐに日光は転じて、もう一匹の子オオカミのもとへと急ぎました

 そして、あらんかぎり手を伸ばして、その子オオカミをも掴もうとしたのです

 しかし、今ひとつのところで、日光も子オオカミも、流れに取られ真っ逆さまに滝壺へと滑落してしまいました

 ですが、幸いにして落差がそれほど無かったことと、流量があり、落ちていく水に長年かかって削られ、掘られていていたせいか、滝壺が深かったため、日光も子のオオカミも無事でありました

 日光はなんとか姿勢を整えますと、すぐにもう一匹の子オオカミをも捕らえて、二匹と我が身を、腰に巻いたひもで堅く結びつけて、そのまま泳ぎ渡り、滝壺の近くのゆるやかな流れに任せ、浅瀬に上がりました

 そしてそのまま、陸へと二匹を担ぎ上げたのです

 二匹の子オオカミは、岸に上げられても、ぐったりとしておりました

 水を飲んだのかと日光は思い、吐かせようとしましたが、よくよく見れば、疲れと緊張から解き放たれたせいか、子のオオカミたちは心地よい寝息を立てておりました

 日光は子のオオカミらが落ち着いたところで、母オオカミを探そうとしていましたが、しばらくして、母オオカミの方から日光の前に現れました

 その気配を感じてか、子オオカミも目を覚ましました

 二匹の子オオカミはよろめきながらも自力で立ち上がると、母オオカミのそばに寄っていきました

 母オオカミも子オオカミに近づいて、安堵しているように見えました

 そして、今度は二匹の子オオカミをしっかり見守るようにして、ゆっくりと山の中へと消えていったのです

 

 日光はそれをよくよく見送ってから、自らも日差しの暖かな場所に腰を下ろしました

 冷たい沢水の中で過ごしていたのですが、熱闘のせいか、その身体からもうもうと湯気が立ち上っていきました

 そのときです

 あの母オオカミの遠吠えが、ふたたび山中から、

「うぉぉぉーーん」

 と、高く上がって、谷を伝っていきました

 その声を聞いて、日光ははっと悟りました

 そして、恐怖でも寒さでもなく、感動のうちに身を震わせ、西の方、奈良の都の方を向くや、そこにそびえる高い峰に向かって、膝を屈してひざまずいたのです

 そして、

「法進先生。先生の恩は親にも勝ることでありましょう。あなたがあのとき解き明かしたならば、私は今、瞬時に悟りうることはできなかったでしょう」

 そう、感激にむせび泣いたのでありました

 思えば、突然現れた人間を、猟師や敵にするものとして、母オオカミは牙を剥けてきたかもしれません

 そしてそれはまた、子供のオオカミたちにもいえることなのです

 恐怖におののいて、日光に、最後の力を振り絞って、あらがったかもしれないのです

 なにより逆巻く冷たい谷川の水の奔流は、日光とて、容赦なく飲み込んだかもしれません

 また冷たさに驚いて心の臓が止まるかもしれなかったのです

 ですが日光は、なんのためらいもなく谷川の冷たい水の中へと飛び込びました

 そこにはなんの深い思案も迷いもなく、日光の意図など、まったくありだにしなかったのです

 気がつけばオオカミの子の遭難を、目の当たりにしてこれを救い、母オオカミはそのことを理解してか、日光を襲おうとはせずに、黙って山中に帰っていきました

 もし、親子が腹が空いていたのなら、別の意味で襲われていたのかもしれません

 しかし、そのようなことは日光にとってどうでもよかったのです

 山中や谷川に響いた母オオカミの遠吠えを耳にしたとたんに、日光の知らぬ日光が、いつの間にか子のオオカミを救うために身を躍らせておりました

 その発見に気がついて、日光はついに法進和尚の問いの真意を自覚し、あわせて理解したことから、ついに謎を解き明かしたことを悟ったのでありました

 日光は、感涙にむせび泣きつつ向かったその名もなき峰を、尊い仏の宝の意味である「三宝の山」と呼びました

 そして、その場をあとにし、ふたたび長い険しい山道をふもとに下っていったのです

 

 その日の日暮れまでに、日光はふもとの大滝栃本の集落にたどり着きました

 そこの寺社に立ち寄り、宿を求めるとともに、明日、ヤマトタケルノミコトの伝説でも名高い、秩父三峰山に入りたいと、地元に住む三峰山の、山守の里長に許しを請いました

 すると、さっそく快諾を受けましたので、山守の里長に案内についてもらい、秩父三峰山にこもって、しばらく修業をすることにしたのです

 山守の里長の話によれば、秩父三峰山とは、三峰神社奥の院の妙法ヶ岳と白岩山雲取山の三つの峰を称して「三峰」と呼ぶとのこと

 尾根の上にある三峰神社の社伝によるいわれは、ヤマトタケルノミコトが東征の途中、雁坂峠で道に迷った時、白いオオカミが現れ、いまの三峰神社付近まで、案内した故事から来たといいます

 このとき、ヤマトタケルノミコト雲取山白岩山、妙法ヶ岳の三山に、含まれる深い神聖な霊気を感じとって、これは神の導きに違いないと喜びました

 そして、この地にイザナギノミコト、イザナミノミコトの二神を祀ったのが、聖地としてのこの地が始まったゆえんとのことです

 よって、ヤマトタケルノミコトを案内したオオカミが、神社のお使いになったということでした

 日光は、先のオオカミとのめぐりあわせのこともあって、なにか不思議な結縁を感じ取りました

 翌日、山守の里長の案内を受け、日光は修験道場である三峰観音院に入りますと、七日間の修法の禅定に入りました

 その結願の日の夜のことです

 日光は庵室で静かに座って心を研ぎ澄ましたところ、夜更けになり、なんとなく静けさを破る騒がしい気配を感じました

 日の出と共に満願となり、お経をあげ終えて、外をうかがったところ、どこからともなく現れたのか、オオカミが境内に、まるで日光に付き従い、日光の唱える経典を聞くようにして、いっぱいになって座っていたのです

 なんでかと見渡せば、その中にかの親子オオカミがいるではありませんか

 どうやら日光はオオカミたちに、この人ならと思われたようでありました

 そして親子のオオカミは、どうやら属する一群を率いて、日光のもとへと参じて集まってきた様子でありました

 てっきり日光は、これより相州阿夫利山大山寺にいる、師の良弁のもとへと発つつもりでおりましたから、その見送りにやって来てくれたものかと思い、

「オオカミもこのように、恩義に報いるほど情け深いとは。一切衆生、山川草木悉有仏性とは、このことであったか」

と感じ入っておりました

 やがて山守の里長が迎えにきました

 ですがこの光景に、やって来ますや否や、山守の里長とはというと腰を抜かさんばかりに驚きました

 ですが、オオカミの一群はあまりにもおとなしく、日光に対して従順であったため、逆にこれは喜徳奇瑞なことと、この様子を珍重したのです

 そして日光が三峰山の神仏に別れを告げて、山守の里長に導かれて山を降りていきますと、不思議なことに、オオカミの群れも、日光に付き従っていくではありませんか

 そして日が高く上がり、郷の村の集落にたどり着いても、なおも付き従って、離れようとはしないのです

 日光は幾度も山に帰るように、オオカミたちに促しました

 しかし、オオカミたちはずっと日光の後に付き従ったままで、無駄でした

 すると山守の里長は、

秩父三峰山の神の使いはオオカミである。これは日光法師に、なみなみならぬ神との縁が生じたからではないのか」

と、語ったのです。

 そこで日光は、先日めぐり合わせたオオカミ親子との出来事を、山守の里長に語りました

 おかげで、日光が学識のみでは悟りえなかった境地に目覚めたことも

 するとますます、その善行が三峰山の神に認められた証しであり、だからこそ日光を慕っているのだと言うではありませんか

 しかし、これからも長旅は続きます

 日光としても、これだけのオオカミを付き従えていくことはできません

 ですがこのとき、日光の脳裏に閃くものがありました

 日光は、山守の里長から、さきに、ここいらの郷人は他の土地からの盗人や、畑にイノシシやシカなどが現れて、被害がかなりに上ると聞いておりました

 ですから、

「山守の里長の言うとおりに、神のお導きであるとするならば、このオオカミ一匹一匹もまた神の使いである。なにかの縁だから、よって、これも神のお導きの一つとして、このオオカミたちを各家の警備番として、三峰神社の御札をつけて、ふもとや信仰の篤い村々に貸し出してみてはいかがかな」

と、日光も山守の里長に語ったのです

「はい、はい」

 すぐに山守の里長が各郷の家々に、日光の喜徳な体験とともに語り働きかけました

 すると、それだけの喜徳奇瑞ないわれがあり、神のお使いであるならばと、郷中の皆々がこぞってやってきて、すべての集まったオオカミたちが引き取られていったのです

 

 さてその後、日光は秩父を越えて、東山道から武蔵府中に下る官道をまっすぐに南下し、聖武天皇の勅令により東国鎮守の祈願寺として、行基によって開かれた高尾の名刹を訪ねました

 道中、一度だけ日光は、

「三峰の神の御名を称して、人として、僧として、差し出がましくも、厚かましいことをしたのではなかろうか」

 とも考えましたが、

「これがあるときに、かれがある。これが生ずるから、かれが生ずる。これがないときに、かれがない。これが滅するから、かれが滅する。迷っているときは師や神仏の導きを期待していた。だが、悟ったからには自分で世を見据えていくものだろう。偽りあらば、我に因果が降りかかろうが、あれは偽りなき、誠の心で述べたことだ」

 と、思い直しますと、不思議と心は以前のように揺るぐことはなく、定まっていきました

 いよいよ相州阿夫利山、大山寺へと至りますと、師の良弁は笑みを浮かべて、成長した弟子を迎えてくれました

 そして良弁から、

「いい顔をしている。これまで苦労をして来ただろうが、道の習得に努めるには、どのようにすればよいか解ったかな」

 と、尋ねられますと、

「腹が減ったら飯を食い、疲れたら眠ることです」

と、日光は答えました

「おやおや、皆々、そうしているのではないかな」

と、良弁が尋ねると、

「そうではありません。たいていはそうではなく、食べるときにはいろいろと、欲望をめぐらしていましたし、寝るときは寝るときで、様々な思案を巡らしておりました。それがようやく理解できました」

と、日光は答えたのです

 良弁は手をたたき、

「よく勉強したな。立派な供を従える資格はまさにある」

と、日光を褒めたたえました

 じつはこのときまで、日光のそばには、あの親子オオカミが、付き従っていたのでありました

 後日、秩父の三峰の山守の里長より届いた手紙によると、日光の勧めにより貸し出したオオカミたちは、霊験はあらたかで、獣害、火盗よけになったとのことで、たいへんな評判になったとしたためられておりました

 日光は良弁に言われ、東大寺にいたとき同様に、薬師如来に仕えるよう告げられ、大山の東にある、行基の開いた薬師如来を祀る堂宇、霊山寺を紹介され、そこに住まうことになりました

 一説として、このあたりのことを「日向」と言うのは、

「この日光香厳法師が向かわれたところである。と、いう故事に由来する」

と、伝承されてもいて、そのように聞くこともあります

 そうして改めて日光は、薬師如来にお仕えしていきました

 日光に従っていた親子のオオカミは、その後は霊山寺門前の集落の警備番として、家々に迎えられました

 日光に供したオオカミは、獣害、火盗よけにたいへん効果があったとみえて、相州阿夫利山大山を一望するこのあたりに伝わっていき、このオオカミの子孫を分けてもらい、警備番として持つ風習が広まっていきました

 また近くの里には、この奇瑞を福徳として、オオカミへの信仰が生まれたともいいます

 

 そしてオオカミを祖先に持つ番犬が、このようにして、郷人の間から、広く国中へと広まっていったということです

 現在に至って、私たちの身近に愛嬌をふりまきしっぽを振る柴犬がおります

 日本人にはなじみ深く、日本にいる純粋な日本種と目される柴犬でありますが、実は、柴犬が持っている遺伝子がいちばんオオカミに近いといわれます

 これは私たちの日本人の祖先が、太古より、たぶんこうして、オオカミと良好な関係を築いてきた結果であるというのが、通説となっています

 だから、このようにして、人間との信頼を築いたオオカミの子孫が、今日の柴犬への系譜につながることに、思いをはせることができるのです






《2022年04月18日 第34回日本動物児童文学賞 応募作品

 2024年03月11日 Hatena.Blog 掲出用として校正改訂》