創作  ― 立山情話 ―

[ジャンル] = 山岳小話(物語)


    立山情話
                      妙致希林(ももない)


 越中、富山の誇る立山
 その真下の稜線沿いに、二軒の山小屋があった。
 舎人小屋と才二郎小屋という。
 名前のいわれは知らないが、シーズンにはそこそこ繁盛していた。
 隣同士ではあったが、片方の小屋まで行くのに、大人の足でゆうに二、三時間は要した。

 ある年の冬に、舎人小屋が荒らされるという事件が起きた。
 とはいっても、ドロボウに荒らされたというわけではなく、厳冬期の登山者に、備蓄の食糧は持っていかれるは、小屋の床板をはがされ、あまっさえ小屋の中でそれで焚き火をされるはと、それはそれは心ない仕打ちを受けたものであった。
 当然小屋の主人は立腹した。
「こんな輩のために、一生懸命思いやりをかけていたのではない!」
 とばかり、次の年の冬は小屋を閉めてしまうとさえ言い出したのだが、ほかの小屋の主たちや常連の登山者らのとりなしで、ようやくに思いとどまったという。

 さすがに富山というか、こんな人里から離れた、山懐に抱かれた小屋にも薬売りはやってきていた。
 いつの頃からか定かではないが、夏のシーズンが訪れる前にやってきては、留め置きの薬を確かめて、使った分量を補充していった。
 舎人小屋が荒らされた年のこと、才二郎小屋を訪れた薬売りはこのような話をした。
「今年は風邪の熱冷ましだけ、舎人小屋でうけつけてくれなかったのですよ」と。
 舎人小屋の主人は
「風邪の薬が減ったといっても、自分が与り知らぬこと」
 と言って、がんとして受け付けなかったという。
 ほかの薬の補充にはなにも言わなかった。
 去る冬に小屋が荒らされたときに、持ち去られたものとのことで、そのためのようであった。
「夏にだって風邪をひく方が居られるかもしれません。用心が寛容です」
 と、薬売りは熱心に勧めたのだが、どれほど強く勧めようとも、決して首を縦に振らなかった。
 ついに薬売りは、根負けせざるを得なかった。


 しかしこういうときにこそ弱り目に祟り目というか、悪いことが重なるもので、この年の夏のシーズンを終えてすぐに、薬売りは舎人小屋で、登山者から急病人が出たという話を伝え聞いた。
 しかも風邪による発熱であるという。
 さぞかし舎人小屋の主人は、薬を切らして困ったのではと薬売りは思ったが、それほどの騒ぎにならなかったことを考えて、登山者が自前の薬を持ち合わせていたのではとも思い直した。

 翌年の夏のシーズン前は、才二郎小屋から薬売りが回った。
 まだ所々に雪の残る登山道を踏みしめて小屋にたどり着いてから、一服した後に留め置きの薬箱をのぞいた。
 絆創膏、きず薬、虫さされ、腹痛止めといつも減っている薬を補充しているうちに、珍しく風邪薬がかなり減っていることに気がついた。
「風邪薬がずいぶんと減っていますね。昨年はこんなに流行ったのですか?」
「ああ、それはねぇ……」
 舎人小屋の主人がやってきては、もっていったものだと主人は語った。
 登山者に具合が悪いものが出るたびに、何回となく山道を踏みしめ、昼となく夜となく、時間のかかるのも構わずにやってきたのだという。
 そのたびごとに薬を渡していたそうだ。

「こちらがいらないって言うのに、薬の代金もそのたびそのたび置いていくんだよ。それなら意地張らないで、下に頼んで薬を補充すればいいのじゃあって思うのだけれど……」
 しかしそれを言葉にするとがんとして拒絶したという。
 頑固もここまでくるとねぇと、才二郎小屋の主人は笑みをこぼしながらこう語った。

「ただ、今年は……」
 冬の利用者の態度が、いつになく折り目正しかったよと、主人はこう付け加えた。
 礼儀正しかったというか、使ったあとがきちんとしていて、春に小屋を開けるときにもなんとなく空気がすがすがしかったそうである。

 才二郎小屋を後にした薬売りは続いて舎人小屋を訪れた。
 そして減った薬を補充した後で、半分ほど、風邪薬を置いていったという。



《1999年4月1日発行 山の文芸誌『ベルク』No.80号に寄稿掲載・より転載
 2022年12月27日 難読部を再度見直し、読みやすいよう校正改訂》



ベルクハイル
■正月には初詣をかねて大山から
日向薬師へと出かけているのです
が、今年は都合により大山頂上を
端折りました。しかしなんとなく
しっくりといきません。また近々、
登りに行こうと思ってます。(百名井)